ありきたりのことを言います。「親切は最大級の迷惑となる」ことがある。

最近、知り合いが辛い目にあったとき等に、かける言葉が見つからないのです。
なぜか。
去年の11月頃、アトピーがかなり悪化して肘や膝の内側の皮膚が硬化して、手足をすこし曲げ伸ばしするだけで皮膚が裂けるような痛みに襲われるという最悪な、文字通り最悪な状態だった頃。
膝も肘も、すこし曲げた状態を維持しないと皮膚が裂けて超痛い。つまり、膝をすこし曲げたまま歩かなきゃいけなかったわけですが、結構これが足に負担がかかるので杖をついて歩いてたんです。登山用の杖。1万円もした。んで、杖なんかついて歩いてると、やっぱり周りの人は「あの人大変なんだな」とか思うわけですよね。電車に乗ってると、毎回のように席を譲られるんですよ。最近の若者はどうだとか言うけど、おっさんおばさんに譲られたことねぇよとかいう話は置いておいて。
席を譲ってくれるのはありがたいことなのかもしれんが、じつは座席に腰掛けたり立ち上がったりがすんげー重労働で、失敗すると皮膚が裂けるような痛み付きなわけです。むこうは親切のつもり。こっちは親切だとわかっていても、実は迷惑。激しく迷惑。心が元気なときは、「立ったり座ったりするの辛いんで、立ったままで大丈夫です。」とかいえるんだろうけど、激痛で心神耗弱状態になっていた気弱なはやみずさんは「座らないのも悪いなぁ」とか変な気をつかって毎回がんばって座ってしまっていた。親切なんだけど、マジ迷惑だった。
あと、杖ついてたまに頭に包帯巻いたり*1していると、まあ当然大学で「大丈夫?どうしたの?」って声をかけられるわけですよ。もうね、どこからどうみても大丈夫じゃないだろうと。心配してくれてるのはわかるんだが。あと、「どうしたの?」って聞かれるのが本当に嫌で、一時期どうしようもなく人と会うのが鬱だった。一体何人におんなじことを聞かれて、おんなじことを話さなきゃいけないんだよ!とイライラしてたわけですね。
つまり何が言いたいかというと、誰かが辛い状況にある場合、心配して、あるいは親切心で何かを言ったりしたとして、それがタイミングによってはその人にとってストレスになる場合が多分にあるということなんです。一時的に、人とコンタクトを取ること自体がストレスになることだって十分ありうる。
特に、こういう場合に純粋な親切、あるいは心配というのはもっともたちが悪い。だって悪気が無いんだから。悪気がない行為だとされる側もわかっているから、迷惑だったとして「迷惑だからやめてくれ!」と言うのは辛いし、言ったところでお互い幸せになれる可能性は低い。
親切は時に迷惑である。しかも、最大級の迷惑になりうる。
だから辛い状態にある人にかける言葉が、そう簡単には出てこない。自分が親切で迷惑を被っているから、どういう言葉が一番いいのか、どういう言葉がだめなのか、とても言葉選びに臆病になってしまうわけ。
まあ、あれだ。まとめとしては、あのとき支えてくれた彼女には感謝している(*´д`)

*1:薬を塗った部分にガーゼをあてておくため