実験のできる人、できない人

今日実験がおわってから、学生控室でだらだら作業しながら実験のできない人について話をしていた。

話の中で出てきた実験のできない人は二種類いる。

  • 理論を理解していないし、予習もしていないので何をしていいのかわからない
  • 理論を理解していて、予習もしてきているが何もできない

前者については「乙」としか言いようがないけれど、気になるのは後者。理論がわかってて何で実験ができないのか不思議なので、帰りの電車のなかで少し考えてみた。

理論を実験で確認する作業とは、つまるところ抽象と具象の橋渡しをすることに等しい。

現実(具象)はあまりに混沌と、雑然としている。その中から、本質となる部分だけに注目し、抽象の世界へとその本質を変換する。例えば、電気回路のような化学反応や様々な物質の動作によって構成されているものが、(電流や電圧などを)数学の世界にもっていくと単なる足し算や、微積分になってしまう。

一度抽象化されてしまった具象のエッセンスは、科学の場合は数学の世界で解決されて、何らかの解を与えてくれる。しかし、この解は抽象の世界の解であって、そのままでは意味をなさない。抽象の世界の解を、もとあった具象の世界へと変換して、それが現実の世界を正しく予測できていれば、初めて認められるものなのだから。

とまあ、科学においては当然のプロセスを延々と書いてみたけれど、つまりは

  1. 具象の問題を抽象の世界へ変換
  2. 抽象の世界で問題を解く
  3. 抽象の世界の解を具象の世界へと変換
  4. その解が具象の世界を正しく予測しているか検証

というステップが実験を行う上では必要になる思考及び実践の過程で、これのどれかが欠けても実験は遂行できない。上で述べた「実験のできない人」は、3., 4.に関する能力が欠けているのではないか、と思う。あくまで推測で語ることしかできないけど。

理論を理解したり実験の予習をする段階ではほとんど抽象の世界で考えていればいい。しかし、いざ実験を遂行する際には、その抽象の世界の解に関する要素と、現実世界の要素を対応付けていかなければいけない。ダブルブリッジの理論がわかっていても、実際にどういう"モノ"を使って何を構成してやるかがわかっていないと実験はできない。*1その対応付けができないことが、実験ができない理由になっているんじゃないか。

なーんてことを考えていた。

*1:むしろ、理論があまりわかっていなくてもブラックボックス化された計器を説明書通りに扱えばいい、ということも多い