本当に「命は大切」か。

最近読んだブログのエントリに触発されて書いてみる。

「命は大切だから、人を殺すことは絶対に悪」という考えは、幼いころから親とか周囲の大人に刷り込まれた強迫めいた暗示だ、と俺は思うわけです。

森博嗣先生の小説で瀬在丸紅子犀川創平が語り、また多くの人がすでに語っているように、「命は大切」「殺人が悪」という倫理とか道徳といった教訓めいたことは、その人間が属している社会という集団が存続、繁栄するために都合のいいことの組み合わせなのです。全然普遍的な事柄ではない。

もし「命は大切、殺人は悪」をはじめとする道徳が普遍的な事柄だとしたら、"超人口過多状態で、このままいくと食料も、食料を生産する資源も程なく枯渇してみんな仲良く飢え死にする*1"するような状態でも、命は大切だから人は殺してはいけない、人殺しをした人は悪人だと言われるだろうか?おそらく、そういった極限状態ではその人は悪人として扱われない。むしろ、社会的に不必要な人間(なんらかの能力が低い人たちとか)を排除し始める可能性も十分にあるはず。

別の極限状態としては、戦争状態とかね。

極限状態で成り立たない事柄は、その時点で普遍的ではない。ということは、「命が大切」という考えは一般的(普遍的)には成り立たないということですね。そういえば先の対戦中の日本は天皇のためなら簡単に命を捨ててたし。「戦争いって外国人殺しちゃうぜヒャッホウ」みたいなやつが国民で、戦争反対は非国民だったし。

そもそも、普遍的なことって完全に抽象的なレベルでも存在しないと思うんだよね。普遍的だと思われてる数学でも、ある公理系(という前提条件の下)においては普遍的な事柄も、違う公理系では成り立たないし。何はともあれ、前提なしには何も議論できない。

以上、一般論。

でも、現在日本国民として生きている限りは、日本の憲法とか法律とかを前提条件として受け入れてるということになってるので、つまり「人殺しは悪*2」という事柄を受け入れているということになっているのですね。
ついでに、集団のなかで生きていくためには、「命は大切」とかをはじめとする道徳も受け入れておかないと、村八分されちゃうわけですね。「やたら金儲けするやつは感じ悪い」とかいって、村上さんは村八分されたわけですかね。

ところで、人殺しは悪だけど、「命は大切」って憲法とか法律とかに明記されてんのかな。教えてエロい人。

*1:別の星に集団移住とかなしね

*2:正当防衛とかは例外